「あの娘僕がカジュアルに嘔吐したらどんな顔するだろう」第一回

 田中亮太君から、「漫画やアニメについて何か文章を書いてくれないか」という依頼があって、まず思いついたのが、九井諒子「竜の学校は山の上」について何か書きたいな、ということでした。
 理由は色々ありますが、まず、作品自体が出色の出来であること。中世を舞台にしたRPG風ファンタジー、SF、民話etc、既存ジャンルの話型を再構築し、今私たちが生きる日常とミックスした世界を違和感なく描写する技術の素晴らしさと、寓意とも哀愁とも可笑しみともつかない、微妙な感情のあわいを読後に感じさせる作劇の妙。2011年に刊行された漫画の中でも突出して素晴らしい作品集です。
 そして、この作品集がたどってきた経緯。同人誌即売会とHPで発表された作品がピックアップされ(加筆修正のちに)単行本化されたという成り立ちは、昨今の漫画の潮流の、ある側面を象徴するものであると思っています。なにより筆者にとって、昨年の創作系同人誌即売会コミティア」で作者の作品と出会った時の衝撃は、漫画を読む愉しみを再認識させてくれた、という個人的な思い入れがあった…などなど様々な理由から、筆をとりはじめました。
 しかし、書こう書こうと思いたってはみたものの、筆はとまるばかり。というのも僕が見聞きする限り、webや書評ではもうすでに、この作品を絶賛する言葉が溢れていて(僕自身、九井諒子絶賛ツイートを数限りなくしました)、それらに加えてまで、僕がこれ以上特に語る内容はないし、上手く語る言葉もないだろうな、という思ったからです。
 それでもあえて、この作品を最初の題材にすると決めたのは、この作品をお題にするという話をした時、亮太君が「タイトルさえも聞いたことない作品なので、前情報は何も入れないでおきますね」という言葉にひどく驚いたからでした。何より驚いたのは、亮太君、漫画について門外漢なんだなあ、とかそういう話ではなくて、いや、そういう話なのかもしれませんが、結局、僕の見聞きした盛り上がりは、僕の属するスモールサークルの中での熱狂でしかなかったのだな、と痛感したことに尽きます。
 この作品を読んで素晴らしいと思った、それを誰かに伝えたいという言葉は、僕の周りに溢れていたけれど、その言葉は届く人にしか届かないし、届かない人には届かなかった。僕たちの熱狂は僕に近しい隣人たちには遠く及ばなくて、それはなんだか少し寂しい気持ちにさせる光景でした。そして、僕はその状況をなんというか、どうにかしたいと思っています。世の中には、触れたとたん何か誰かに話したくなるような魅力的な物語が満ち溢れていて、それを皆とシェアしたい。物語を熱心に語る言葉がふえていく様を見ていたい。そういう無茶な目論見を夢想しています。今、この記事は漫画好きの得体のしれない人間が、あてさきのない言葉をならべたてているだけなのかもしれなけれど、いつかやがて、ある作品を媒介にして、趣味や世代やクラスタを越えた交流を生み出したい。僕にとってはそういう決意を新たにさせてくれた作品で、だから/あえて、この作品を最初の記事にしようと思ったのでした。
 この作品集は、人と、人と異なるもののコミュニケーション/ディスコミュニケーションというテーマが通奏低音としてあります。僕が僕の抱える問題に感応したように、この作品集に掲載された九つの短編のいずれかは、きっと、あなたたちが直面しているコミュニケーションの問題にヒントをあたえるものであるように思えます。次回は、この作品集から何篇かピックアップして、この作品集を読んだ人はほとんど皆、何故だかこの作品に惹き付けられてしまう、その魅力を探っていこうと思います。九つの短編に登場するキャラクターたちは作中において、彼ら/彼女らが直面する問題への答えが与えられることはありません。でも手がかりはありました、決して楽観的ではないけれど、とても勇気づけられる優しい物語に満ち溢れていました。それが伝われば。そして願わくば、この拙文を読んだ皆様が、この素晴らしい本を手に取ってみらんことを。
by @casual_auto

竜の学校は山の上 九井諒子作品集